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| 榊原 隼 | 還元の奈落 | 400字詰原稿用紙 約305枚 |
| 著者略歴／1975年、北海道生まれ。さまざまな職業を経験しながら作家をめざす。登場人物の造形と複雑な人間関係など、厚みのあるプロットが持ち味。 | 銃は不発。外は台風。敵組長暗殺に失敗したダメ組員が逃げ込んだ先はマンホール。さまざまな思惑が交錯する中、嵐の新宿で下水道チェイスが始まる。 | 【ダウンロード】 ZIP |
| 作品冒頭 | ||
重く厚い雨雲が下界の明かりに鈍く照らし出されている。 猛烈な勢いでかたちを変え流れゆく雲を見ていると、空ではなくこの西新宿そのものが凄まじい速度で南に向かって落ち込んでいるような錯覚をおぼえる。竣工まぢかい新都庁舎の頂が、鉛色の濁流にいまにも呑まれそうになっていた。 幾何学的な稜線から倦んだ眼をそむけると、椎葉鉄雄はワイパーのスイッチを入れ、すぐに切った。フロント・ウィンドーにびっしりとついた雫をワイパーはワン・ストロークで扇型に拭い去った。 ステアリングを苛立たしく叩いていた指をカー・ラジオのスイッチに伸ばす。 『……東京管区気象台より、お伝えしました。さて、関東地方の警報、注意報は次のとおりとなっております』 小さな舌打ちちともにスイッチを切る。風は強まっているが、台風の上陸が近づいているとは思えない。大粒の雨は一時間ほど前に降ったきりだ。上空の濁流と、強風が路上から舞い上がらせる霧のような飛沫が、台風の接近を意識させる程度だ。 計器盤の時計は二十一時二十五分を表示している。行動開始まであと五分。注意ぶかい視線を、椎葉は周囲に走らせた。 駐車場の出入りはほとんどない。満車に近い状態は膠着したままだ。台風を副都心の高層ホテルでやり過ごそうという酔狂な客が多いらしい。雨風の影響が電車のダイヤを狂わせつつあるいま、ホテルにとじこめられた客もまたいるのだろう。 この駐車場からなめらかに道路に出られるだろうか。その前に浩司をうまく拾えるだろうか。いや、そもそも浩司はびびらずにやってのけることができるだろうか。 考えるほどに、危惧が膨らむ。どだい、この計画には穴が多すぎる。素人同然の浩司を刺客に差し向けるのは正気の沙汰ではなかった。 ――ツキを呼ぶ嵐。神風やな。 組長のことばがふいに甦る。 いい気なもんだぜ。嘲りのまじる溜息を洩らし、サイドウィンドーを巻き下ろす。目の細かい雨が運転席に吹き込み、白髪のまじる鬢を濡らす。タバコの烟と吐息とで息の詰まるほど汚れた空気が乱れ、呼吸が楽になる。 |
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